
事のおこり
岡山県新見市哲多町矢戸地区に伝わる、七年ごとの奇祭「蛇神楽」。
宝暦年間(今から約270年前)頃より伝統的に執り行われている。
江戸時代の矢戸地区は備中松山藩(現、高梁市)の治世の元で、水野勝隆藩主の加増に伴い
領民に重い年貢を課せざるえなかった。過酷な年貢に苦しむのは百姓だけではなく、
責任者の庄屋である杉源五衛門も同じであった。
意を決し年貢の軽減を藩に直訴するも、当時の直訴には重い罰を課せられる時であり、
源五衛門は帰らぬ人となった。宝暦元年(1751年)
次の庄屋になった吉岡弥市兵衛は、村人の為に犠牲になった源五衛門への
報恩感謝と慰霊の大神楽を荒神様に奉納し、矢戸村の五穀豊穣を祈願するのであった。

荒神と神楽とは・・・・・・・
大昔の古代の人々は厳しい自然条件の中で農耕生活や狩猟によって生きてきた。
その為、田畑や土地を守る「地神」、山をつかさどる「山の神」、水の神として「水神」、
さらに人々の生命の根源として「荒神」をまつる原始信仰が生まれた。
そうした神々への願望と感謝のために神楽は誕生したと考えられる。
荒神は生命の根源であるだけでなく、農作をおびやかす雨や風をもたらす荒ぶる神であり、
天災、飢饉、疫病や火の根源も荒神であると考えられてきた。
神を慰め、土地の豊穣を願う神官の神事であった神楽は娯楽的要素も含み芸能性が強くなった。
矢戸の蛇神楽とは、荒神の化身である大蛇と、荒神の分身である氏子衆が、
荒神への祈願と感謝の為に行うたいへん珍しい神楽である。
蛇神楽は荒神へ無病息災・五穀豊穣などを祈願する大祭であり、前記の庄屋の話はでてこない。
しかし、源五衛門の屋敷のあった只野組、次代庄屋の弥市兵衛の住む町上・町下組、地域の氏神である
中山八幡神社(荒神が祀ってある)のある宮ノ峠組の三地区が当番組を持ち回り「蛇神楽」は執り行われる。